昭和1945年〜

戦災からの復興と政令指定都市

1945年の福岡大空襲で市街地の多くを失いましたが、戦後は急速に復興し、1972年に政令指定都市となりました。山陽新幹線の博多開業(1975年)、地下鉄の開業(1981年)と交通網も整っていきます。

1945年(昭和20年)6月19日の夜、221機といわれるB29が福岡市を襲いました。焼夷弾による空襲は午後11時すぎから翌日の午前1時ごろまで約2時間続き、繁華街をはじめ市の中心部のほとんどが焼け野原となりました。被災戸数は1万2,693戸、死者902人、行方不明244人とされ、水道や電気、ガスなどの都市の基盤も大きな被害を受けています。

引揚げの港から、百万都市へ

終戦後、博多港は引揚げの港に指定され、約1年5か月の間に中国や朝鮮半島などから約139万人が帰ってきました。同じ時期に、日本に住んでいた朝鮮半島や中国の人々など約50万人が博多港から祖国へ向かっています。中央ふ頭には博多港引揚記念碑が立ち、荒戸のふくふくプラザでは資料展「引揚港・博多」が常設されています。

復興は1946年(昭和21年)に決まった幹線道路と区画整理の計画から本格化し、1949年(昭和24年)末には人口が戦前の最高を上回りました。1972年(昭和47年)4月1日には札幌市・川崎市とともに政令指定都市となり、1975年(昭和50年)に人口100万人を突破。同じ年に山陽新幹線が博多まで延び、1981年(昭和56年)7月には地下鉄が室見〜天神間で開業しました。

渇水から生まれた節水型の都市づくり

成長する都市を悩ませたのが水です。福岡市は政令指定都市で唯一、一級河川を持たず、1978年(昭和53年)の大渇水では287日間、1日平均14時間に及ぶ給水制限が続きました。翌年には節水の要綱が定められ、1980年にはビルのトイレ洗浄などに下水の再生水を使う、国内で初めてとされる取り組みが天神で始まります。2003年(平成15年)には全国初の節水推進条例を施行し、一定規模以上の建物には、トイレの洗浄水に雨水や再生水などを使う「雑用水道」の設置を義務づけました。2005年には福岡都市圏の新たな水源として、海水淡水化施設「まみずピア」(1日最大5万立方メートル)も稼働しています。今、市民1人あたりの配水量は大都市の中で最も少なく、水を大切に使う工夫は建物の設備にも組み込まれています。

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