
楼門は、正面の柱間が三つで中央に通路が一つある「三間一戸(さんげんいっこ)」の二階建ての門で、入母屋造・檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を載せています。扉の桐の彫刻は、江戸時代の名工・左甚五郎の作と伝えられます。
「敵国降伏」の由来
筥崎宮の古い記録によると、921年(延喜21年)に醍醐天皇が「敵国降伏」の宸筆(天皇の直筆)を下し、この地に社殿が建てられたとされます。筥崎宮には、紺色の紙に金泥で書かれた「敵国降伏」の宸筆が第一の神宝として伝わっています。1274年(文永11年)の蒙古襲来(文永の役)では社殿が焼けましたが、その再興にあたって亀山上皇も「敵国降伏」の宸筆を納めました。楼門の扁額は、小早川隆景が楼門を建てた際に、この亀山上皇の宸筆を拡大して書き写したものです。蒙古襲来の経緯は元寇(蒙古襲来)で紹介しています。
楼門のそばには、応神天皇の胞衣(えな)を埋めた印に植えられたと伝わる御神木「筥松(はこまつ)」があり、「筥崎」の地名の由来とされています。一之鳥居は、1609年(慶長14年)に黒田長政が建てた石の鳥居で、こちらも国の重要文化財です。
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