那珂川をはさんで、西に黒田長政が開いた城下町の福岡、東に商人の町の博多。明治に入ってもそれぞれの気風を保っていた二つの町は、行政上は「福岡区」としてまとめられ、1889年(明治22年)4月1日の市制施行で「福岡市」となりました。発足時の人口は約5万人、面積は約5平方キロメートルの小さな市でした。
二度の可否同数
市の発足から1年もたたない1890年(明治23年)2月6日、市会で博多部選出の議員から「市名を博多市に改めたい」という提案が出されます。当時の議員30人のうち博多部選出は17人、福岡部選出は13人で、博多側がまとまれば可決される情勢でした。福岡部選出の議長はその日の審議を打ち切って翌日に持ち越し、地元の二大新聞の論調も割れて、市会の会場だった東中洲の共進館の傍聴席には住民が詰めかけたといいます。
2月14日の採決は賛成13の可否同数。再審議でも再び同数となり、改称案は否決されました。この日は欠席者もあり、出席した博多部の議員のうち2人が賛成しなかったことが結果を分けたことになります。
駅は「博多」、市は「福岡」
これより前の1889年12月11日、九州で最初の鉄道として九州鉄道の博多〜千歳川間が開業し、その起点の駅は「博多駅」と名づけられていました。初代の駅舎は今の博多駅前一丁目、出来町(できまち)公園のあたりにあり、記念碑が立っています。駅が現在地に移ったのは1963年(昭和38年)のことです。
1972年(昭和47年)4月1日、政令指定都市への移行とともに区が置かれ、旧博多部を含む区は「博多区」と名づけられました。市の名は「福岡」、駅や港、祭りや伝統工芸には「博多」。中洲と天神中央公園の間で那珂川に架かる「福博(ふくはく)であい橋」の名も、二つの町の出会いにちなむとされています。